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タニタテキ [土佐]

先日ひでおがUPした人物的脳内メーカーをやってくれた方から、脳内の大部分が『谷干城』で占められているけどこの人物が何者かよく分からないというご意見。読み方は『タニ・タテキ』です。

 

谷さんは維新後新政府に出仕してからも活躍する人物ですが、今回は幕末の谷さんについてちょっくら検証。

 

  • 土佐藩上士出身(天保8年・1837生まれ)
  • 藩校・史学助教授になった時、土佐の武市半平太と友人になり尊王攘夷家になる。
  • 慶応2年(1866)、長崎視察中、後藤象二郎坂本龍馬と交流を深め、攘夷決行はもう無理だと悟ると倒幕思想へ徐々に変わり始める。
  • 慶応3年(1867)、江戸で西郷隆盛と会い、薩土同盟を結ぶと討幕運動を目指す。

 

・・・と、かなり有名どころの志士たちと交流のあった谷さん。そんな中でも谷さんが尊敬してやまなかったのが、龍馬兄やんです。

 

龍馬さんは土佐の郷士出身、谷さんは上士出身。谷さんのが歳は2つ下ですが身分は龍馬さんより高いです。でも、それでも谷さんは龍馬さんをとーっても尊敬していました。

 

どんだけ尊敬していたかというと、以下の事象でもよく表れています。

慶応3年(1867)、龍馬さんが暗殺された時に真っ先に駆けつけたのがこの、谷さんです。事件当日、一緒にいた中岡慎太郎はこの時瀕死の状態。そんな状態で超大変なのは百も承知で谷さんは中岡さんから暗殺の経緯を聴き出します。(注:一説では‘坂本龍馬暗殺’ではなく‘中岡慎太郎暗殺’という憶測もあります)

今現在、龍馬暗殺時の状況が事細かに把握できているのは、この時の谷さんの突撃インタビューの賜物ってわけです。

谷さんはその後、生涯をかけて龍馬さんの暗殺犯を追ったといいます。しかし事件当初から犯人は新選組と決めつけていた谷さん。。正解は見廻組でした!残念!おしいー

 

 

龍馬さんを本当に尊敬していたんですね・・・、分かります・笑

 

 

 

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